しばしば「人は誰も一人では生きられない」と言われる。確かにその通りだろう。
なぜなら「自分」という存在は「他人」が決めているからに他ならない。 人間関係 の中で コミュニケーション を通じて自分が定まってくるのだ。
ということは如何に他人を思い通りにコントロール出来るような効果的な コミュニケーション が出来るかどうか?それこそが 自分の人生 を 自由 に生きるということに気付いているだろうか。
よく「他人を思い通りに動かせると本気で思っているのですか?」
と聞かれることがある。
答えは「YES」。
むしろ何故思い通りに動かせないと思っているのかが不思議。
ただし、これには前提がある。
その前提の設定次第で
「他人を思い通りに動かせるのか?」という問いへの回答が
YESにもNOにもなりえる。
その前提とは何か?
それは・・・
「どのように”思う”のかということ」
「思い通りに動かす」というからには前提として
「思い」があるからに他ならない。
問題はその「思い」の描き方次第。
例えば二者択一でどちらか一方を他人に選ばせようと
仕向けたいのであれば、人は「痛みを避けて快楽を追及する」
という性質を利用して、一方の選択肢を「痛み」に、
他方の選択肢を「快楽」にしておけば、確実に「快楽」
を選択させられる。まさしく「思い通りに他人を動かしている」。
注意点があるとすると、他人の価値基準(クライテリア)。
何がその人にとっての「痛み」で、何が「快楽」なのかは
しっかりとその目の前の相手と向かい合わない限り、
見えてこない。
相手と真剣に向かい合うからこそ、相手の「痛み」や
「喜び」が分かってくる。その結果として
「思い通りに動かすことが出来る」☆
もし「他人を思い通りに動かす」なんて不遜だ、などと
思い込まされているようであれば、
それは単に他人と向かい合っていないだけなのかもしれない・・・。